パーシャルいさおのれっきとした歴史 #3

れっきとした歴史 (第三回)

「缶詰」

 

これは誰も取り上げないマニアックな人物や物に対して、スポットライトを当て、その歴史について浅く、広く?紹介するコーナーです。

 

今回は、最近またブームが来つつある「缶詰」について取り上げます。

 

缶詰が発明されるまで、食べ物の長期保存法は、乾物にする、塩漬けにする、くんせいにするなどでした。ヨーロッパ各地に遠征軍を送っていたナポレオンは、肉や野菜を何日も持ち歩くと腐ってしまうため、兵隊たちの食料の調達に苦労していました。そこでナポレオンは、1804年、食べ物を腐らせず持ち運ぶ方法を高い賞金をかけて募集しました。

そして、フランス人の二コラ・アペールが、口の大きなガラス瓶に肉や野菜などを入れ、コルクで緩く蓋をし、お湯の中に入れ、その後、蓋をしっかり閉めロウで完全に密封するというものを発明しました。これは現在の缶詰製法の原理とほぼ同じであり、これにより、アペールは賞金を手にしました。

1810年、イギリスの商人であった、ピーター・デュラントにより、ブリキ缶による缶詰がつくられました。しかし、初期のものは殺菌方法に問題があり、たびたび中身が発酵して缶が破裂するという事故が起きたり、密封用のはんだに鉛が多量に含まれており、食べた人が、鉛中毒で死亡する事故もありました。

しかし、二年後の1812年には、早くも最初の缶詰工場がつくられると、ヨーロッパで缶詰は、一般的な食品として次第に食べられるようになっていき、南北戦争などでは、缶詰はなくてはならないものとなりました。 

また、当時「缶切り」は発明されておらず、開封は、金槌とノミを用いたり、ナイフで無理やりこじ開けたり、銃で撃ち飛ばして開けたりしていました。そのため、内容物が固形のものに限られ、液状のドリンク類は、入れられませんでした。

1858年、缶詰の発明から48年後、アメリカのエズラ・J・ワーナーによって引きまわして開ける方法の缶切りがようやく発明されました。

今では、プルトップなど、簡単に缶詰が開けられるようになりましたが、48年間も缶切りがなかったのは、意外なところです。 

日本では、1871年に長崎県で、松田雅典がフランス人に教わり、イワシ油漬の缶詰が試作されました。その後、明治10年(1877年)に北海道石狩市で鮭の缶詰が工場生産されるようになり、一般的に広まっていきました。

また、昭和52年(1977年)までは、カニ、サケ、マスの缶詰の輸出が盛んでしたが、200海里問題で、遠洋漁業ができなくなり、缶詰の輸出事業は、壊滅的な打撃を受け、衰退に追い込まれました。とはいえ、コンビニエンスストアなどで簡単に手に入り、非常食にもなることから、特に最近は、臭みの少なくなった「サバ缶」などが人気になっています。 

ちなみに、魚介類の缶詰に絞った、都道府県別一人あたりの年間消費額(平成27年調べ)では、

《トップ3》

第一位 沖縄県 2205

第二位 千葉県 2137

第三位 福島県 1390

 

《ワースト3》

45位 富山県 574

46位 石川県 569

47位 岡山県 550

 

福井県は40位で年間635円でした。 

こうしてみると、北陸が下の方にランクしているのは、魚介類が新鮮で、わざわざ缶詰を買わないのではないか?と思います(これは、あくまでも私の感想です)。 

さて、ここで番外としまして、私の好きな缶詰「コンビーフ」についても触れたいと思います。

このコンビーフの台形をした缶の形を「枕缶」といいます。1875年アメリカのリビーという食品会社が、中身が一つの塊として取り出しやすいように発明したものです。また、缶に牛肉を詰めるとき、台形の狭い方へ向かい肉を詰めて、隙間があかない様にとの利点もあるため台形になったそうです。

そして、缶を開けるとき、専用の「巻き取り鍵」を使いますが、缶切りは発明されていましたが、まだ一般家庭に普及していなかったことから、「誰でも簡単に、安全に開封できるように」と発明された方法だそうです。 

皆さんはどんな缶詰がお好きでしょうか?

以上、今回は「缶詰」の歴史についてお送りしました。

次回も「れっきとした歴史」お楽しみに!

 

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天津 弥

八木さんと同じ M&M エージェンシー所属 劇団福井自由舞台で役者もやってます。
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