「 川端康成 」
歴史上の偉人が素晴らしい業績を残した裏には、別の隠れた一面があります。それを紹介する「偉人外伝」。
第五回目は「川端康成」を取り上げます。
1968年(昭和43)日本人として初めて「ノーベル文学賞」を受賞。
代表作として、「伊豆の踊子」「雪国」などがあります。
1899年(明治32)大阪市生まれ。東京帝国大学国文学科卒業(親戚を保証人として、学費を捻出)。
医師の父のもとに生まれたが、父は結核を病んでおり、開業医も軌道に乗らず、無理をしたため、康成が2歳で父は他界。母もすでに結核感染しており、3歳で他界、母の実家で育った。
【川端康成エピソード】
1.子供の頃の予知能力
子供の頃、予知能力のようなものがあり、探し物のありかや、明日の来客をあてたり、天気も予言し「神童」と呼ばれた。
2.作家として売れる前のエピソード
先輩作家の菊池寛(文藝春秋の創設者)によくお金を借りており、ある日一人で将棋をさしていた菊池の後ろに川端は腰を下ろし、両者一時間黙ったまま。
そして川端が一言「お金が欲しい」
菊池「いつ?」
川端「今」
川端は、お金をせしめると、まるで借金の取り立て屋のように、礼も言わずそそくさ帰っていったそうです。
3.骨董品
川端は気に入った骨董品があると、お金がなくても「これを家に届けてください」と即決。代金を求められると、きっぱり「ないものはない、いずれ払う」と。
お金がなければ買えないという考えは、なかったようです。
4.泥棒
川端は大きな「ぎょろり」とした目が特徴的ですが、結婚して熱海で執筆生活を送っていた時、寝床で、異様な気配をしたため、ぱっと目を開け、見ると、泥棒が枕元で自分を見下ろして立っていた。普通なら大声をあげるところが、川端はぎょろりとした目で、目を合わせ、泥棒と一分間見つめあい、無言の時間を過ごし、泥棒は「だめですか?」と一言いうと一目散に去っていったそうです。
しかし、ノーベル文学賞を受賞した四年後、謎のガス自殺でこの世を去ったそうです。
1972年(昭和47)1月7日のこと。享年72歳。
ノーベル文学賞を受賞後、派手な買い物はしなくなったが、度重なる友人の死、日本の将来を憂いての自殺といわれています。
~まとめ~
偉人のお金がらみのルーズさは、独特のものがあり、「ルーズな性格は、作品や研究には反映されなくてよかった」とつくづく思いました。
以上、川端康成の知られざるエピソードでした。
偉人外伝、次回もお楽しみに。
天津 弥
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