「 野口英世 」
歴史上の偉人が素晴らしい業績を残した裏には、別の隠れた一面があります。それを紹介する「偉人外伝」。
第二回目は「野口英世」です。
野口英世のイメージとしては「細菌学者で世界的に名が知れた医師」というイメージですが、はたして?
千円札の肖像画にもなっている野口英世ですが、1876年福島県三ツ和村(現・猪苗代町)の貧しい農家に生まれました。
一才半のとき、囲炉裏に落ち、左手に大やけどを負ったのは有名で、左手がくっついて開かなくなり、小さい時そのことをいじめられ、学校も行かなくなったのですが、母に「勉強には左手は関係ない、勉強で立派な人になりなさい」と言われ、猪苗代尋常高等小学校へ通い、勉強で一番になりました。
ある日、作文で、昔、いじめられたことを話すと、先生や学友たちが、手術をするお金を出し合って、左手が動くようになり、そのことに感銘を受け、医師を目指すと決意したということです。
その後、苦学して東京の医学学校へ進学、野口のひたむきな医学へ進む道へ感銘を受けた歯科医の「血脇守之助」が学費と生活の面倒を見たのですが、、、
①学費を学費を遊びに使い込み
酒と女に学費を使い込み、あればあるだけのお金をつぎ込んでいました。歯科医の血脇も何とかコントロールしようと、学費を何回かに分け野口に渡しましたが、すべて徒労に終わりました。
学生生活でも、六歳下の女学生に恋をし、ラブレターを毎週のように送って、相手を困らせていました。下宿にも押しかけたり、指輪をプレゼントしたり。勉学と同じく、ひたむきだったのですが、ある時何を考えてか、、、
②研究用の頭蓋骨をプレゼントする。
女医を目指していた彼女も、この行動には、理解不能だったことでしょう。
5年に及ぶアプローチは、不発に終わりました。
さて、浪費癖が一向に治らない野口ですが、自分の行動に少し後ろめたさがあったのか、本名は清作(せいさく)というのですが、ある小説を読んだことで、、、
③英世に改名する。
その小説の中に「野々口精作」という自分によく似た名前の登場人物が出てきて、その人物は、遊びふけって堕落していくというものでした。野口は、自分がモデルになったのではないか?と思い、英世と改名しました。
実は、この小説、単行本になったとき、野口はまだ9歳でした。はたから見たら、笑い話です。
医師の免許を取った野口ですが、開業する費用もなく、徐々に、アメリカ留学を考えるようになります。いかんせん渡航費用もなく、そこで野口は、詐欺まがいのことをします。
④結婚詐欺
資産家の姪と結婚する約束をし、資金を調達。しかし結婚をうやむやにし、なんと、渡航前夜に、そのお金を、宴会だと称し、どんちゃん騒ぎをし、ほとんど使ってしまいました。
ここでも、手を差し伸べたのは野口の能力を一番かっている「血脇」でした。当時の大金300円を払い、無事、渡航でき、アメリカに渡ってからは、心を入れ替え、研究に没頭したそうです。
そんな野口英世は、黄熱病の病原体の特定に成功し、アフリカで、黄熱病の治療を行っているとき、自分も黄熱病で命を落としてしまいました。
野口英世、51歳の時です。
千円札は大切に使おうと思った、いさおでした。
以上、偉人外伝二回目でした。
天津 弥
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