先日、当時6年生の男子児童が蹴ったサッカーボールが外の道路に飛び出し、バイクで走ってきた85歳の男性が避けようとして転倒する事故の裁判で、親の賠償責任を認めないという判決がありました。どうやら、近年は子育てが息苦しい世の中になってきているようです。今日のかわら版は、「子どもヘイトをする大人たち」」というテーマでお送りします。
近年、街の中一つを歩くにしても路上や電車内のベビーカーがうっとうしいのです。飛行機や新幹線で子どもが泣くと、早く泣き止まなせなければあちらこちらで舌打ちやつぶやきを感じることが増えてきました。
子どもが公園でボール遊びをすると周辺の利用者に危険が及ぶという理由で、野球やサッカーは禁止。大声を出すことも禁止で昔ながらの子どもの遊び場は減少しています。
家にいたらいたで、子どもの声や足音がうるさいと階下(かいか)の住民が怒鳴りこんだりします。保育園に入ろうと思っても空きが無く、認可保育園が新設されると思ったら近隣住民の反対で頓挫することもあるようです。
最近、子どもを取り巻く環境がどうやら悪くなってきているようなのです。子どもヘイトがあると言われても仕方がないほど、子どもが生きづらい社会になっています。「子どもらしくない」ようならばないで責められ、子どもらしくあったとしても、また責められる社会になっています。先ほどの認可保育園の事例として、入園募集を始めていた認可保育園に対して集まったのは約220人分の反対署名。認可保育園の近くの公園には、「サッカーをした場合、警察に通報する」といった脅しともとれる看板が設置されているようなのです。 どうして子どもを嫌い、自分たちの生活圏から排除をしてしまうのでしょうか。
時代のせい?地域性?などと様々あるようですが、結論から言うと、一定の秩序の下で同じように振る舞うことを求める社会では言うことを聞かない存在である子どもは「社会の宝」どころか秩序を乱す「社会的ノイズ」であり、リスクなのです。従って、近隣住民とのトラブルが発生するなど揉めてしまうのです。
このような世の中になってしまった今、私たちができることは何なのでしょうか。例えば、相手に物があったとしましょう。素直に謝罪をすればすむ話です。謝罪をすることを教えていない親たちが増えているからこそ、子どもヘイトが増えてきているのだと感じます。それぞれの家庭には家庭のルールがあり、一概にこうしろとはいえませんが、常識のある行動を教えることが今後の大人たちに必要なことではないのでしょうか。
八木正幸のスリーミーなひととき
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