れっきとした歴史 (19回目)最終回
「 寝台特急の歴史 」
これは、誰も取り上げないマニアックな人物や物に対して、スポットライトを当て、その歴史について、助手いさおが浅く・狭く・かつ薄く紹介するコーナーです。
西村京太郎のサスペンスにもよく出てくる寝台特急、それだけ馴染みがあり、ファンも多いと思います。今回は「寝台特急」の歴史について、紹介します。
寝台特急は「ブルートレイン」ともいわれ、青色の車体は、おなじみです。
現在は、東京駅~出雲市駅と東京駅から高松駅までいく「サンライズ瀬戸・出雲」のみとなっています。東京駅を22時ちょうどに出発し、岡山駅に翌朝の6時27分に到着。ここで、連結を外し、サンライズ出雲とサンライズ瀬戸に別れ、サンライズ瀬戸は、岡山駅を6時31分発で、7時27分に高松駅に到着。サンライズ出雲は、岡山駅を6時34分発で、9時58分に出雲市駅へ到着します。
これが唯一残っている、定期便の寝台特急ですが、車体はおしゃれで、昔のような青色はしていません。
さて、ここから寝台特急の歴史ですが、日本では、1900年(明治33)に、山陽鉄道の神戸~三田尻(現在の山口県防府市)の間に急行列車として初めて寝台車が導入されました。これは、喫煙室や扇風機などを備えた、豪華な一等寝台車で、庶民が乗れる三等寝台車が登場したのは、1931年(昭和6)になってからJRの前身「国鉄」の東海道本線、東京~神戸間でした。
高度経済成長期には、ビジネスや観光が目的の長距離移動が増え、1956年(昭和31)に国内初の寝台特急「あさかぜ」が東京~博多間で運行を開始し、1958年に寝台特急用に特
別につくられた客車「20系」が登場し、乗車時の揺れが少なくなるなど快適になり、車体の塗装が、青色系統だったため「ブルートレイン」の愛称で呼ばれるようになったということです。
当時は、長距離の移動手段がなく、夜に車内で寝て、翌朝、目的地に着くという効率的なことがウケて、需要が拡大し、国鉄は、次々と長距離の寝台特急を導入しました。
1960年代から70年代にかけて、寝台列車の数はピークを迎えます。このころ、ブルートレインブームが起こり、趣味の撮り鉄や乗り鉄も多くなってきました。
しかし、鉄道ファンの人気とはうらはらに、寝台列車の需要は、飛行機、新幹線、高速バスなどの新しい交通手段に押されて減っていき、特に高速バスは、料金が安いため、ブルートレインにとっては、競合相手になりました。
これに加え、1987年(昭和62)に国鉄が分割民営化し、JR各社には、効率の良い経営が求められ、寝台特急は、2000年代に入り、次々に廃止されました。
ここで、廃止された、北陸本線を走っていた、寝台特急、急行を挙げます。
・北陸(2010年廃止 金沢-上野)
・日本海(2012年廃止 大阪-青森)
・急行きたぐに(2012年臨時列車になり、2013年廃止 大阪-新潟)
・急行能登(2010年臨時列車になり、2012年以降走っていない 金沢-上野)
現在、寝台特急は、移動手段から移動を楽しむものへ変わり、JRは、豪華でキメ細かなサービスの寝台特急を投入しています。
2人用の個室があったり、コース料理が楽しめたりし、高級ホテルを楽しめる作りになりました。
トワイライトエクスプレス、北斗星、カシオペア
上記の豪華な寝台特急は、北海道新幹線開業のため、廃止となっているのが残念です。
【まとめ】ぜひとも、瀬戸・出雲は、廃止にならないうちに、乗ることは叶わないかもしれませんが、撮影は是非してみたいと思っている、にわか鉄道ファンのいさおでした!
天津 弥
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