パーシャルいさおのれっきとした歴史 #4

れっきとした歴史 (第四回)

「カラオケ」

 これは誰も取り上げないマニアックな人物や物に対して、スポットライトを当て、その歴史について、助手いさおが「いさペディア」を駆使し、浅く・広く?紹介するコーナーです。

  

今回はカラオケの歴史についてお送りいたします。

カラオケとは「カラのオーケストラ」の略だということは、皆さん知っておられると思います。また、日本が発祥だというのも有名ですが、いったい誰が発明したのでしょうか?

 カラオケ機器そのものは、1960年代から開発されていましたが、一般的に知られるようになったのは、兵庫県西宮市に住んでおられた「井上大祐」さんが1971年に発明した「8ジュウーク」だといわれています。

この井上さんは、クラブでピアノの弾き語りを仕事にしていました。

お客さんの歌にも合わせ、演奏をしており、ある日とある会社の社長から「今度、社員旅行に行くので、旅先でも歌えるよう、伴奏だけのテープを作ってくれないか?」と頼まれました。

その伴奏のテープが社長に大変ウケ、井上さんは「テープを店に置けばいいんじゃないか?」と考え、8トラックテープに伴奏を録音し、再生機にコイン投入口を付け、100円で5分間歌えるようにしたものを作りました。

これが、カラオケ機の原形8ジュウーク」です。しかし、特許を取らなかったため、音響メーカー各社が、次々と8トラックの業務用、家庭用カラオケ機を発売し、井上さんは、まったく儲からなかったそうです。

ですが、1999年、アメリカの雑誌「TIME」で、20世紀、毛沢東やガンジーがアジアの昼を変えたならば、井上は、“アジアの夜を変えた男だ”と紹介されました。

 その後8トラックカラオケ機は、80年代後半までは使われていましたが、1982年のレーザーディスクの登場により、徐々にレーザーディスクに取って変わりました。

1990年代に入ると、通信カラオケが普及していき、現在は、第一興商とJOYSOUNDの2強のみとなっています。

さて、それでは「カラオケボックス」の歴史をちょっとだけ紐解いてみます。

カラオケボックスの発祥の地は、岡山県です。

1985年にスナックを経営していた主婦が、交通事故で入院することになり、困った夫が、トラック用のコンテナにカラオケの機材を置いて、セルフサービスで自由に歌を歌ってもらえるようにしたところ、大ウケし、あっというまに全国に広まったのが始まりだそうです。

そして、1990年代以降、市街地のビルの全部、または、一部のフロアを多くの個室に仕切ったものが主流になりました。

カラオケボックスは、こうして普及していった訳です。

 最後に、恒例?となったランキングを紹介します。

 

 今回は、2018年上半期カラオケ総合ランキング(JOYSOUNDさん調べ)。

※すべての年代にうたわれた曲のランキング※

 第一位 糸 中島みゆき

第二位 ダンシング・ヒーロー 荻野目洋子

第三位 Lemon 米津玄師

第四位 恋 星野源

第五位 残酷な天使のテーゼ 高橋洋子

第六位 ひまわりの約束 秦基博

第七位 小さな恋のうた MONGOL800

第八位 ハナミズキ 一青窈

第九位 アイネクライネ 米津玄師

第十位 奏(かなで) スキマスイッチ

 あと、十一位以下で根強い人気の曲は、19位 栄光の架橋 ゆず

23位 キセキ GReeeeN

                                                                  25位 チェリー スピッツ

29位 粉雪 レミオロメン

が、ランクインしていました。

 

 今回はカラオケの歴史についてお届けしました、さて、皆さんの十八番は何でしょうか?

以上、れっきとした歴史でした。

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天津 弥

八木さんと同じ M&M エージェンシー所属 劇団福井自由舞台で役者もやってます。
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