「加賀二代藩主 前田利常」
歴史上の偉人が素晴らしい業績を残した裏には、別の隠れた一面があります。それを紹介する「偉人外伝」。
第8回目は、江戸時代の加賀藩の大名「前田利常」を取り上げます。
まず、前田家の始まりは「前田利家」からです。加賀百万石の礎を築いた大、大名です。
「鳴かぬなら私が鳴きます信長様」と揶揄されるほど利家は、織田信長に仕えていて、戦のたびに敵の首を取り、信長からは「犬」と呼ばれるほど、献身的に仕えていました。
その息子「前田利常」は1594年1月16日石川県小松市生まれ、兄の加賀藩初代藩主「前田利長」から家督を受け継ぎ、二代目藩主となる。
徳川家との関係改善に努め、藩の繁栄にも尽力したということです。
「加賀藩を守るためにはどう思われてもいい」と考えていた利常のいろいろなエピソードを紹介します。
◎藩を守るためただひたすらに自分の鼻毛を伸ばし続けた。
間抜けな顔になれば、徳川家も「謀反をすることはなかろう」と思いわざと鼻毛を伸ばし続けた。しかし、仮にも百万石の大名であるので、側近のものが見かねて利常に「鼻毛切り」を渡すと、利常は笑いながら「この鼻毛があればこそ、泰平の世を楽しむことができるのではないか!」と鼻毛を伸ばした状態で、胸を張って大声で言ったそうです。
・徳川家に反抗する意思のないことを示すために、どうするべきか常に利常は考え、ある冬の日、頭巾をかぶったまま江戸城へ入場し、注意を受けると、「これは失礼、頭が冷えて困ったもので、取るのを忘れていた」と謝って、周囲をあきれさせた。江戸城内に「小便禁止破ったものは金一枚」と立て看板があると「天下の大名が金一枚ごときを惜しんで、小便を我慢するわけにはいかない」と敢えて小便をして見せた。
・極めつけが、江戸城に登城するように言われたが「病のため行けない」と連絡し、登城したとき江戸の老中から「気ままですな」と嫌味を言われると、自分の局部をあらわにし「いやいや、腹痛でここも痛くてたまらぬ」といいあらわにしたものを見せつけ、他国の大名たちを唖然とさせた。
自分の領地を守るためいろいろ驚くことをした利常。1658年享年66歳。今は金沢市の野田山墓地に眠っています。
[まとめ]
加賀藩への愛が強かった利常。馬鹿をやっていた分、民衆からは愛されていたようです。
しかしわたくしがこんなバカなことをやったら即、刑務所行きでしょう。
もっと、愛されキャラになりたかったいさおであった。
さて、次回はどんなエピソードが飛び出すでしょうか?次回も偉人外伝お楽しみに!
天津 弥
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