「伊藤博文」
歴史上の偉人が素晴らしい業績を残した裏には、別の隠れた一面があります。それを紹介する「偉人外伝」。
第6回目は、「 伊藤博文 」を取り上げます。
1841年(江戸時代)現在の山口県光市生まれ。
農家の長男として生まれ、父が萩藩の伊藤家で奉公をしており、父が伊藤家の養子になったことから、博文も下級武士になる。
松下村塾で学び、22歳の時イギリス留学もした。
44歳で初代内閣総理大臣を務め、その後、三度も総理大臣になり、
日本の最年少の総理大臣の記録は、いまだに破られていない。
それでは、伊藤博文のエピソードを紹介いたします。
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名言
「俺は、蓄財や骨董、盆栽、茶道、謡曲に毛頭興味がない。公務の後、芸者を相手にするのが何より楽しみだ」と豪語していた。
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ニックネームが「ほうき」
女性を掃いては捨て、掃いては捨てていたことから、「ほうき」とあだ名がつき、そのことで、明治天皇が怒った唯一の人物。
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車の中でのエッチを日本で最初にした
遊郭で遊んで帰ろうとしたとき、見送りに出た中に、「おきん」という色っぽい芸者がいて、博文は一目で気に入り、馬車に連れ込み、夜通し馬車を走らせるよう命じた。
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そのほかにも
40℃の熱でうなされていても、横に芸者二人をはべらせていた。
処女が好きで、たくさんの女性の処女を奪ったらしい。
中国のWikipediaでは、女体盛の考案者とされている。
そんな女遊びが祟ったのか、1909年(明治42)10月26日に中華人民共和国ハルビン市ハルビン駅で朝鮮半島の独立運動家に暗殺される。
朝鮮侵略の元凶と思われていた伊藤博文。最後はあっけなく凶弾に倒れました。
68歳でした。
【まとめ】
女好きは大物が多いといわれますが、何故か大物になれないスガイサオの偉人外伝いかがだったでしょうか?
また次回の偉人外伝お楽しみに!
天津 弥
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